個人開発アプリを売る方法と手順の全体像
個人開発のアプリを売ると決めたとき、最初に困るのは「何から手をつければいいのか」が見えないことです。相場の話、署名鍵の話、ストアの規約の話と、論点ごとの解説は見つかっても、売ると決めた日から代金を受け取る日までの間に、何がどの順番で起きるのかを一枚で見渡せる地図はあまりありません。
アプリの売却は、Web サイトの売却よりも工程が多くなります。ストアの開発者アカウント、署名鍵、ストア自体の移管の手続き、サーバーや外部サービス、利用者のデータと、渡すものの種類が多く、それぞれに別のルールがあるからです。逆に言えば、全体の順番さえ頭に入っていれば、一つひとつの工程はそれほど難しくありません。
この記事では、個人開発のアプリを売るときの手順を、準備・値付け・売る流れ・ストアの移管・ストアの外の引き渡しの順に、Apple と Google の公式の文書に書かれている条件を添えて整理します。
売る前に、すでに決まっていること

アプリの売りやすさの多くは、売ると決める前の作り方と名義で決まっています。売りに出す前に、次の三つを確かめておきます。
一つ目は、ストアの開発者アカウントの名義です。個人名義のアカウントで公開しているアプリを、法人の買い手に渡すことはできますが、ストアの手続きでアプリを移す先のアカウントを買い手が用意する必要があり、その段取りが取引の日程を左右します(アカウント名義が売却を止める仕組みは別の記事で詳しく扱っています)。
二つ目は、署名鍵の所在です。Android のアプリは、署名の鍵を自分で保管しているか、Google Play のアプリ署名の仕組みを使っているかで、引き渡すものと手順が変わります。鍵がどこにあり誰が管理しているかを答えられないと、買い手は引き渡しの見通しを立てられません(署名鍵が査定額を決める理由も参考になります)。
三つ目は、外部サービスの名義です。サーバー、データベース、Firebase、決済、分析、プッシュ通知と、アプリの裏側でつながっているサービスが、誰の名義で、誰のクレジットカードで契約されているかを一覧にしておきます。この一覧が、後の引き渡しのチェックリストになります。
値段は、月間利益に倍率を掛けて考える

アプリの売却価格には、決まった計算式はありません。公表されている目安の多くは、月の利益(広告やアプリ内課金、サブスクリプションの売上から、サーバー代や外注費などの経費を引いた額)か月の売上に、月数を掛ける形で示されています。
同じ利益のアプリでも、継続課金の比率が高いか、運営に特定の個人の手が要らないか、ソースコードや署名鍵をそのまま渡せるかで、買い手が見込める収益の続きやすさと引き継ぎの手間が変わり、それが掛ける月数の差になります。
売る流れは、八つの工程に分かれる

売買の場を使ってアプリを売る場合、流れはおおむね次の順になります。
- 売りに出す前の準備(名義・署名鍵・外部サービスの一覧、売上と利益の資料)
- 案件の掲載(アプリ名やストアの URL など特定につながる情報を、交渉の相手が決まるまで伏せておくと、競合や利用者に売却の検討を知られずに済みます)
- 買い手との交渉
- 秘密保持契約(NDA)を結んだうえでの、詳しい情報と資料の開示
- 買い手による確認(デューデリジェンス)
- 譲渡契約の締結(何を渡すかを、資産ごとに書き出す)
- 代金の預け入れ(代金を第三者に預け、引き渡しの確認が済んでから売り手に渡る仕組みを使う)
- ストアの移管とストアの外の引き渡し、買い手の確認(検収)、代金の受け取り
このうち、アプリならではの手間がかかるのは 8 の引き渡しです。ストアのアプリそのものの移管は Apple と Google の公式の手続きで行い、それ以外のものは契約で決めた範囲を一つずつ渡します。どこで売るかによって、この工程を誰が見てくれるかが変わる点は、アプリ売却はどこでするのが正解かの記事で整理しています。
App Store の「アプリの譲渡」

App Store のアプリは、App Store Connect の「アプリの譲渡」で別の開発者のアカウントへ移します。Apple の文書は、アプリを別のデベロッパに売却する場合には「そのアプリの所有権を譲渡する必要があります」と書いています。手順と条件の要点は次のとおりです。
- 譲渡は、譲渡する側のアカウントの Account Holder が開始し、受け取る側の Account Holder が承諾します。承諾されずに60日が過ぎると期限切れになります
- 承諾してから完了までは2営業日ほどかかります。譲渡の後も、アプリはこれまでのレビューと評価を保ち、利用者はアップデートを受け取れます。バンドル ID は変わりません
- 少なくとも1つのバージョンが App Store でリリースされたことがあること、審査待ちや審査中などの状態でないこと、双方のアカウントが保留中や変更中でなく、最新の有料契約と無料契約に同意していることなどが条件です。Apple Arcade のアプリは譲渡できません
- 自動更新のサブスクリプションがあるアプリは、譲渡の前にアプリ用の共有シークレットを生成します。どのアプリでも、TestFlight のベータテストは中止し、Xcode Cloud 関連のデータは削除しておきます
- Apple の文書は「譲渡人は、実際のコードセットとビルドのアセットを受取人へ直接引き渡す責任を負います」と書いています。ストアの譲渡では、ソースコードは移りません
譲渡の後、受け取った側は自分のアカウントで新しいプロビジョニングプロファイルを作る必要があります。また、譲渡した側は、譲渡の後に発生した売上や支払いの情報、App Analytics のそのアプリのデータを見られなくなるので、必要な資料は譲渡の前に書き出しておきます。
Google Play の「別のデベロッパー アカウントへのアプリの移行」

Google Play のアプリは、Play Console の「別のデベロッパー アカウントへのアプリの移行」で移します。要点は次のとおりです。
- 移行元と移行先の両方のデベロッパーアカウントの登録が完了し、有効であることが必要です。移行には、双方のアカウントの登録取引 ID を使います
- 移行元がリクエストを送り、移行先が確認・承認した後、Google のサポートチームが移行リクエストを確認し、2営業日以内に返信します
- アプリのユーザー、ダウンロードの統計情報、評価とレビュー、コンテンツのレーティング、ストアの掲載情報、定期購入などは、新しいアカウントに移ります
- 一括エクスポートのレポート、売上レポート、収益レポートはアプリと一緒に移らず、移行前に作成された注文は元のアカウントに残ります。テストのグループも移りません
- 有料アプリやアプリ内アイテムがあるアプリは、移行先のアカウントに有効なお支払いプロファイルが要ります。Firebase のプロジェクトは、移行元の Play Console からリンクを外し、移行先のアカウントにリンクし直します
Apple と同じく、ここで移るのはストアの上のアプリと、それに付いた情報だけです(ストアごとの手続きの違いはApp Store・Google Play所有権移管の壁でも詳しく扱っています)。
ストアの外で引き渡すもの

ストアの移管が済んでも、アプリはまだ動く状態で渡っていません。最初に作った外部サービスの一覧に沿って、ストアの外にあるものを一つずつ渡します。
- ソースコードとリポジトリ。リポジトリの所有者の変更、またはコードの引き渡し。外注したコードがあるなら、その権利が自分にあることを確かめておきます
- 署名鍵と証明書。Android の署名鍵の扱いは、ストア側の署名の仕組みを使っているかどうかで変わります
- サーバー、データベース、Firebase などの外部サービス。アカウントごと移せるもの、プロジェクトだけを移せるもの、買い手の側で作り直すしかないものがあります
- 決済と課金。アプリ内課金やサブスクリプションの売上の受け取り先、外部の決済サービスの契約
- 利用者のデータ。個人情報保護法は、合併その他の事由による事業の承継に伴って個人データを提供する場合は、本人の同意が要る第三者への提供に当たらないとしています(第27条第5項第2号)。ただし、承継した側は、本人の同意を得ずに、承継前の利用目的の範囲を超えて扱うことはできません(第18条第2項)
この工程は、売る前の準備でどこまで一覧を作れていたかで、かかる時間が大きく変わります。何が実際に起きるのかは、アプリ売却の事例が語らない移管作業の記事にまとめています。
個人開発のアプリを売るときに大事なのは、ストアの手続きだけで売却が終わると思わないことです。ストアの移管は、渡すもの全体の一部にすぎません。名義と鍵と外部サービスの一覧を先に作り、値段の考え方を押さえ、ストアの公式の手続きとストアの外の引き渡しを両方とも段取りに入れておけば、売ると決めた日から代金を受け取る日までの道筋は、ずっと見通しやすくなります。
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